新宿から京王線仙川を降りて徒歩で武者小路実篤記念館に行ってきました。
学芸員の方からのご連絡でライブラリーに狩野誠講演禄を寄贈のため、お伺い致しました。
そして私一般会員になりました。
東京とは思えない緑豊かなところで、武者小路実篤先生の邸宅もありちょうど地元の中学生も社会見
学に見えてました。
副主幹・主席学芸員伊藤様と・・・偶然えんめい茶のご愛飲者様でした。
昭和30年本を出版するにあたり武者小路実篤宅を訪ねると書生さんが紹介状はありますか?
尋ねられますがありませんと答え門前払い
その横のお勝手口にあり「ごめんください」とお手伝いさんに何を間違えれたか、お皿にむすびをふたつ」のけってこうだすんです。
よーくみたらボロボロの軍服髪の毛は長くして、髭もあり乞食さんに間違えれたんです。
「先生はいつ頃散歩にいきますか」と言ったら「お昼頃庭の鯉に1時半ごろ池の鯉に餌をやりにいきます・・・と」
池の鯉に餌をやりにきた先生に「お懐かしゅうございます」と声をかけました。もちろんあった事などありません。
「うん君はどこからきたのかね」と先生「はい長野県と新潟県の県境の黒姫というところで
開拓分教場の教師をして開拓をしております。よんどころの事情で本を出版したいのですが、どこの
出版社に断られ先生のご序文があれば出版できると思いなす」といって恐るおそる原稿を出したんです。
そうしたら先生は「私も若いときに九州の日向で数年間百姓をしたことがある。大変だね、来たまえ」略
先生は序文を原稿用紙2枚分かいてくれました。
それから電車に乗りどんな原稿かと開けてみると、一万円札が二枚・・涙があふれました。
雑草の詩より
この本は若い一開拓者が、雪深い黒姫山麓で自ら開拓をしながら書いたものである。
開拓者の苦しみと喜び、血と
汗、失望と希望をおりまぜられた生活が如実に描かれている。そして、山に住む
人のもつ独特の感覚で,自分の暮らしだけでなく村の人のことも、四季のことも書かれ
作者はその中で雄雄しく生きている。だから書くための文章ではなく、生活の方が先で
書かないでおられないので書いたのである。-中略ー
この意味でこの本は一つの生活の詩集とでもいえよう
自然を相手に生きるという事は、机の上だけで希望的な感傷に浸っていることはまるで違う。もっと厳しいものなのだ。ことに金も施設もなく、雪と風とを相手に本当に自分の身体を張って大地に生きることは、大変な事である。
この大変な仕事を日常生活としている開拓者の生活にふれる事だけでも、多くの人々は、何かしら考えさせるものがあろう
昭和32年 武者小路実篤 平凡社
ほほえみいっぱいおかげさまいっぱいありがとういっぱい