延命堂ー楠公社
1924年(大正14年)東京深川に生まれる。
東京府立第三中学校(両国高等学校)卒業後拓殖大学在学中学徒出陣
陸軍中野学校義烈特別攻撃隊志願生き残り、戦後東京大空襲で実家が無くなり
信州黒姫山麓に開拓者として入植
代田文誌、柳谷素霊、大塚敬節先生に師事して東洋医学の指導を受ける。
時事通信で嘱託にて室蘭勤務。信州大学にて講師として空手指導をする。
小学校中学校の臨時教員になる。生徒達と共に土を耕し、木を彫り、草をたづねる暮らしをつづける。
草の学校を提唱し自然教育と健康生活の普及につとめる。
狩野誠は雪深い信州に荒れ地を開き、食べ物や医者がなく飢えや病で亡くなる開拓民を目のあたりにし、山中で採取したクマ笹やエンメイ草などからお茶を作りました。
やがて完成した健康茶は、人々から「ウンメェ茶」と親しまれ、人々を救うという「延命地蔵」が心の中にあったことから「えんめい茶」が生まれました。
草の学校を主宰し、人間復興運動・大自然健康づくり、ほほえみいっぱい運動を提唱しました。
平成19年2月15日 82歳永眠 妻英子75歳 同年10月5日永眠
「延命堂」は「えんめい茶」を製造している「黒姫和漢薬研究所」の敷地内にあるお堂です。
狩野誠は、毎日午前3時に潔斎してこの「延命堂」にて瞑想をし人々の幸せを祈りました。