若き日武者小路実篤先生の東京仙川のご自宅を訪ね原稿を手にして序文をお願いしに伺ったそうです。
「開拓農民平凡社序文」は大東亜戦争で祖国防衛の為拓殖大学から予備士官学校から陸軍中野学校へ
義烈特別空挺隊に第2便出撃を待ち、若くして命をかけて國の為散った友、生き残り、敗戦後信州黒姫山麓に開拓者として「自分の良心に恥じない生き方」をしたいと英霊に誓い、東京深川から人間復興運動を始めた若者の魂の叫びであります。
多くの大衆が地方から都会へ日本文化より進駐軍の影響で米国文化に憧れたあの時代、東京から自然の中にこそ日本人の美学こそが人間本来の生き方であると嘲笑う人々の中 、血気盛んな誠青年は
当初「百姓入門」という題で先生にお持ち致しました。
「開拓農民」の命名は武者小路実篤先生が薦めてくれたと生前語ってくれました。
今現在、国立国会図書館に保蔵されております
名もなく何のつてもない情熱だけを持った若者を応援した序文をご紹介致します。
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この本は若い一開拓者が、雪深い黒姫山麓で自ら開拓をしながら書いたものである。
開拓者の苦しみと喜び、血と
汗、失望と希望をおりまぜられた生活が如実に描かれている。そして、山に住む
人のもつ独特の感覚で,自分の暮らしだけでなく村の人のことも、四季のことも書かれ
作者はその中で雄雄しく生きている。だから書くための文章ではなく、生活の方が先で
書かないでおられないので書いたのである。-中略ー
この意味でこの本は一つの生活の詩集とでもいえよう
自然を相手に生きるという事は、机の上だけで希望的な感傷に浸っていることはまるで違う。もっと厳しいものなのだ。ことに金も施設もなく、雪と風とを相手に本当に自分の身体を張って大地に生きることは、大変な事である。
この大変な仕事を日常生活としている開拓者の生活にふれる事だけでも、多くの人々は、何かしら考えさせるものがあろう
昭和32年 武者小路実篤 平凡社
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世の中を変えるのは若者よそ者変わり者と言われています。
名を残さず実を残しこの世を去り 農村での雇用の場を作り 地域活性化
一品一村の礎となりました。現在日本全国から世界から工場見学の依頼は絶えません。
日本輸出企業メーカーとして国から長野県3組にしか与えられない名誉を頂き日本を代表して世界から注文頂き 皇室に献上致し 英国王室からご用命を頂く 農林水産省推薦 オーガニック認定工場として認可を頂いております。
人間復興運動、ほほえみいっぱい運動は一人の若き開拓者が耐え難きを耐え憂国を志し、生きる事、生活する事が生涯かけて現代社会の荒野に一灯を照らしたいと始めた運動です。それを支えてきた母も亡くなり今次世代に継承する役目と私自身精進しております。
亡き両親が命をかけて創業した黒姫和漢薬研究所は今現在、日本の信州の片隅から
唯一無二の存在として 山の中の小さな会社ですが
和漢薬事業を父の志に賛同頂き心あるお一人おひとりのご協力の元に自然回帰の時代を作りました。
子供や孫に天才と呼ばれ雪の中この世を去った 父狩野誠にほほえみいっぱい
狩野誠 祈願文より